読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

単騎独考

私は錆びた鉈のように鈍く生き、よく使い切った歯磨き粉のチューブのように死にたい。

Sam Cooke と A Change is gonna come.

www.youtube.com

 

変化は来ると歌う、A Change comeを作詞したSam Cooke.

 

どんな人なのかと調べたら、「自ら」変化を起こす人であった。

 

生きる勇気を与える歌詞を書けるのも聖歌隊にいたことが大きいのではないかと思う。

 

最期が凄まじい、映画にすればいいのにと思ったら、製作が二年前に発表されていた。

 

 が、家族とのトラブルで映画化は遅れているらしい。

 

<Wiki>

ミシシッピ州クラークスデイル生まれ。後に家族とともにシカゴに移住。父親は牧師であり、幼い頃から聖歌隊で歌う。19歳のときにゴスペル・グループのソウル・スターラーズのリードボーカルとなり、端正なルックスでゴスペル界ではアイドル的人気を博した。1957年にソロ歌手としてR&Bに転向し、「ユー・センド・ミー」がヒット。これをきっかけにR&B界で数々のヒットを飛ばし、発展目覚ましかったソウル/R&B界のスターとなる。それまでの黒人歌手のスタイルとは一線を画した洗練された音楽性で、声の良さと歌唱力もさることながら、「クック調」と呼ばれる鼻にかかった歌い方は白人にも高く評価され、後世に大きな影響を与えた。

1958年には、マネージャーのJ.W.アレクサンダーと共に音楽出版社を設立。後にはSARレコードを設立する。R&Bが流行した当時、黒人のアーティストは曲を作っても満足な対価を得られず、白人の会社に「搾取」されるのが通例だった中にあって、自らの著作権を管理するのは画期的なことであった。

クックの曲は、『ビルボード』のR&Bチャートだけでなくポップ・チャートでも上位に入った。1960年代には「チェイン・ギャング」(2位)、「ツイストで踊りあかそう」(9位)、「こんどの土曜に恋人を」(10位)、「シェイク」(7位)を全米トップ10に送り込んでいる[1]

黒人の権利に対する意識が高く、公民権運動にも積極的な関わりを持ち、マルコムXモハメド・アリとも親交を深める。1964年の「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」は、ボブ・ディランの「風に吹かれて」に影響を受けて生まれた、人種平等社会が訪れることへの期待を込めたメッセージソングであった。

1964年12月11日、クックはハリウッドの酒場で知り合った女性を「別の店へ行こう」と誘い出し、そのままイタリア製の高級スポーツカーでサウスセントラル地区にあるモーテルにチェックインした。酒場ではなくモーテルに入った事に驚いた女性はクックがシャワーを浴びている間に、追われないようにと服を隠した上でモーテルを飛び出した。シャワーから出たクックは彼女を探し、全裸にコートだけを羽織ってモーテルの管理人室まで行った。この時かなり酔った状態で怒鳴りつけたりしたため、身の危険を感じた管理人の女性が発砲、クックは射殺された。裁判所は正当防衛と認定したが、クックの不審な死をめぐり後に多くの疑問が呈された。