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単騎独考

私は錆びた鉈のように鈍く生き、よく使い切った歯磨き粉のチューブのように死にたい。

言い尽す

今回のドキュメンタリー映画は全フッテージの書き起こしをベースにした原稿を発表したいと準備している。

 

タイミングは映画より早くなるかもしれないし、同時かもしれない。なんらかの形で必ず出したいと思っている。

 

現在、検討してもらっている。

 

映画は映画館にチケットを買って見に来てもらうためのものなので、そういう視聴に耐えなければならない、その中で真実を伝えなければならないという、与件と使命がある。

 

その与件の中で使命を果たすことができた映画のみ国境を越え、時代を超える。

 

なんとか、その与件の中で使命を果たしたい。

 

書き起こしをベースにした原稿はそれを補完し、分析し、解説するそういう原稿にしたい。

 

密度、情報量ともドキュメンタリーの数倍になるだろうと思う。

 

今回の作業は事件であり、自分自身の経験でありに向き合い、PTSDや後遺症を抱える私には楽な作業ではなかった。

 

特に再編集に入って、ずっと理不尽と向き合わないといけないので、本当に苦しかった。

 

普通であれば忘れようとするところを「マゾの歯科医師が自らの歯を抜いて喜ぶ」ような向き合い方をした。

 

私が映画を作ったり、文章を書いたりすることを職業にしていなければ、語るのも直視するのも避け、忘れようとしていたろうと思う。

 

それは「忘れた」だけで、「乗り越えた」ことにならない。

 

2000年頃に書いた「青木物語」という脚本も「PTSDに向かい闘う姿」をモチーフにしていた。

 

どうすれば、それを「乗り越えた」ことになるのだろう。

 

それは「言い尽す」ことによってしかないのではないかと思う。

 

言い尽くした後に、新しい創作の世界が待っているのではないかと思う。