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単騎独考

私は錆びた鉈のように鈍く生き、よく使い切った歯磨き粉のチューブのように死にたい。

「人は見たいように見る」という危険

ユリウスカエサルは「人は見たいように見る」という名言を残している。

今回の再編集ほどこの言葉を実感したことはなかった。

随分、オウム真理教の研究をした、本当に多くの人に出会った。

荒木浩とも相当な時間を撮影期間以外にも過ごした。随分、本を読んだ。

本当に良く研究しなければなわからない、善良な人は騙されてしまうようなシーンがある。

去年の冬、学生さんが「宗教映画祭があるので上映しませんか?」と声をかけてくれ、会ってみると、「受容の物語だと思うのですが」とサリン事件の年に生まれた学生は言う。

それは善良な人が見たいように見た結果であると思う。

ホロコーストをやったナチを「悪いことはしないので、良い部分だけを信じてやっています」と言っていたら、それをあなたは受容しますか?と私は尋ねたい。

全て、その考えを捨てなければならないと思う。

それだけが悔い改めの道である。

関係者はみんな使うだろうと思っている。

私もどこかに使うことへの違和感を感じながらも使っていたのだが、それは危険なので、使わないことにした。

映像は私の感覚を表現仕切れないと思う。原稿でその感覚は表現したいと思う。

傍聴の待合室で、被害者の会会長の永岡さんは「オウム真理教に10年いれば、洗脳から解けるのに10年かかりますよ」と話してくれた。

荒木浩は論理的には、今の信仰を捨てるべきだとは理解している。

しかし、抗弁を懸命にする。マグマのようなパワーを秘めた洗脳がそれをさせているのだ。

そのことを紡ぐのが私の仕事だ。